2018年05月01日

中丸師匠

最近テレビで取り上げられることの多い事件に関して、KAT-TUNの中丸雄一さんがこんなことを言っていたそうです。

「今回、TOKIOの4人の方は『何があっても連帯責任』だとおしゃっていましたが、僕もそう思います。それはなぜかというと、グループに所属していて利益を受けているのであれば、こういったことがあったときに『マイナス面は知らない』というのは筋が違うと思うので。良いことも悪いことも含めてグループ活動だと思うので、同じグループの活動をする人間として、僕はTOKIOの4人の気持ちは分かるし、そのとおりだと思います」

この発言を知ったとき、以前読んだ本の内容を思い出し、それを探しました。
青山俊董さん(正法寺住職)の著書の中にありました。

高原湿地に蓮花生ぜず
卑湿淤泥にこの花を生ず
『維摩経』

乾燥した高原や陸地や、清流には蓮は育たず、泥沼、泥田の中にしか、あの美しい花は咲かないというのです。「泥中の蓮花」といい、「泥多ければ仏大なり」といい、古来より仏の教えは、泥中に咲く蓮花にたとえて説かれてきました。
泥という言葉に象徴するわが心にかなわないことから逃げようとしていないか。健康はいいが病気はかなわない。得するはいいが損することは嫌、成功はいいが失敗はかなわない、愛することはいいが憎しみからは逃れたい。限りなく花を追うが泥は厭い、泥から目を背け、逃げようとする。
苦は、泥は、アンテナを立てよという仏さまの慈悲の贈り物と受けとめていきましょう。苦しみ悲しみに導かれてアンテナが立ち、よき師、よき教えという縁に出会うことで、泥は肥料と転じ、美しい花を咲かせるのです。


これを読んだとき、「いやいや、苦は嫌でしょ」って正直思いました。だけど、あの苦があったからこそ、ということがたくさんあるのも知ってます。だから書いてあることは分かるけど…。やっぱり苦は避けたいなぁ。

そう思ってしまう僕は「修行が足りん」ってやつですね。中丸くん、人間できてるな。
posted by スタジオミガク at 23:49| Comment(0) | スタッフ日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする