2018年08月19日

やっぱ好きだ

先日、ジャンプスルーをするにはこういう力が必要ですよ、を分かってもらうために、みんなでちょっとしたワークをおこないました。そのとき、ハッとしたんです。そっか、そういうことか、って。

僕は前職では整体師だったので、いろんな人の体と真剣に向き合ってきました。そこで学んだ一つのことは、どこかが動きづらくなると、その近辺の関節やその周辺組織が負担を負うことになる、ということ。そして大概痛みが出るのは負担を請け負っている部分。だから、痛みが出ているところの施術だけでなく、負担を与えている張本人を見つけ出して、そこに動きをつけるような刺激を加える施術をしていました。

それはヨガする人の体を見るときにも役立っていました。働いていないところをちゃんと働かせる。そして弱さを補う(庇う)動きを止めさせる。それは余計な負荷を掛けさせないためです。それはアーサナをするとき、とても大事なことだと思っています。

だけど。
そのハッとしたことを見つけたとき、反対の視点が芽生えました。僕が今まで見ようとしていたのは、「働いていない」というネガティブな部分。でもそのとき芽生えたのは、「補ってくれていたんだ」というポジティブな見方。そういう見方でみんなの動きや体を見たとき、なんか温かい気持ちになれました。誰だって得意なことと苦手なことがあって。苦手なことの裏には得意なことがある。働いていないところがあれば、近くで補って働いてくれるところがある。僕の整体師的な見方で言えば、その凸凹をなるべくフラットにしてあげることが、体の辛さを和らげることになる。それは今も変わらずそう思っています。でも、過剰な補い合いでなければ、アーサナにおいて痛みを発現させるほどのものでなければ、それは温かい目で見守っていいんじゃないかと、今はそう思うようになりました。

だからこそ、なんですが。
アーサナの形・やり方を自己流で変えるのは良くないと思います。逆じゃないの?と思う人もいるかもしれない。健康のためにおこなうヨガなんだから、アーサナの形なんてものは、とことん個人に合わせた方がいいんじゃないかと。
これは僕が思い至った考えなんですが。個人にとことん合わせるヨガがあってもいいと思います。ですが、アシュタンガヨガにおいてはそれはやらない方がいいと思うんです。もちろん、人に合わせて多少のアレンジは必要です。でもすべてを安易に「やりやすい」にしようとする試みは、すべてを自分の都合の良いようにコントロールしようとしているように感じるのです。不得意を避けているみたい。苦手なものは受け入れられないみたい。尊い補い合いも否定しているみたい。シリーズを通して練習したときに、都合の悪いものは排除しようとしているみたい。
凸凹があってもいいじゃないか。自分に凸があることを知り、凹もあることを知り、それをちゃんと受け止めて、得意だけをがんばり苦手を適当にやるのではなく、どれにも同じように情熱を注ぐ。それでもなかなかできるようにならないアーサナは、「できの悪い子ほどかわいい」くらいの温かい目で見守ろうじゃないか。不恰好なアーサナでもいいじゃないか。カッコつけたアーサナするためにやってんじゃねぇ!不恰好も笑い飛ばしてあげましょうよ。それでいて、それを変えていけるものなのか知るために真剣に向き合う。形を変えて逃げるのじゃなく、ちゃんとその形に自分を当てはめようと努め、まずは知る!そして大事なポイントは押さえた上で必要なアレンジを加える。それでもやりやすくはないかもしれない。でも、それでやるんです。そこにこそ深みが生まれると思うんです。


こう考えたら、アシュタンガヨガのシークエンスって素晴らしくないですか?
さぁ、daily practice ♪


長くなってすみませーん




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posted by スタジオミガク at 22:42| Comment(0) | スタッフ日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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