2019年11月07日

そこに愛はあるんか?

「おぎやはぎの愛車遍歴」という番組があります(ました?)。

ゲストが登場して、これまで乗ってきたクルマについて思い出話と絡めてトークする番組です。ゲストは俳優やミュージシャン、芸人やアナウンサーなど。お金持ちでこの番組に呼ばれるような人は、もう10台も20台も乗り換えてきているわけです。国産車から外車まで。
この番組を観ていて、ふと思いました。

それは番組名にあるような愛車と呼べるのか?

「今までの車で、車検を通したのは1台だけです」それはつまり新車で買って3年乗ったことがほぼない、ということ。

「この2台合わせても半年は乗ってないですね」

10台もクルマを乗り換える、それだけのお金をそこに注ぎ込む、その時点でクルマ好きだということはよく分かります。でも、それって愛車と呼ぶのでしょうか?

クルマはそれぞれ全然違います。デザインも値段も乗り心地も。燃費も安全性能も。静かに滑らかに人を運んでくれるものから、悪路をものともしないもの。雪道に強かったり、とにかくスピードが出たり。小回りが利いたり、税金が安かったり。がっつり物を積めるものや、2人しか乗れないものまで。挙げたらキリがない。
誰でも分かることですが、上に挙げたものだけでも、すべてを満たすクルマなんて存在しない。何かができれば、何かはできない。クルマ好きな人は、その時に関心がある(価値観の上位にくる)ことを基準に選ぶのでしょう。そしてその関心は移り変わり、次から次へと乗り換える。それは別に悪いことではないのかもしれません。経済は回るし、いいものを新車より安く中古車として誰かが買えるでしょうから。

愛◯◯にはいくつかありますね。
愛車、愛妻、愛犬、愛猫など。そのどれも、ころころと乗り換えることはしないです。何かができないから、気に入らないからといって手放したりしないですよね。興味が変わったからとすぐに目移りするような奴に、愛◯◯は有り得ない。


最近また違う著者のバガヴァッドギーター(ヨガ人のバイブルの1つ)を読んでいるのですが、その中でクリシュナはこんな風に言っています。

人の心は、『サットヴァ(純質・喜び)』『ラジャス(激質・怒り)』『タマス(鈍質・悲しみ)』という3つの質にとらわれる。この質から『ラーガ・ドヴェーシャ(好き・嫌い)』という思いが生まれる。
この思いが、好きなものは得たいという願いに、嫌いなものは避けたいという望みになる。望みは願望となり、人に強く願われることで欲望となり、やがて欲望は人を支配する。

賢者は物事を「ラーガ・ドヴェーシャ(好き・嫌いの思い)」で判断することがありません。自分の元へやってくる物事に対して、何が来ても受け止めることができるといいます。自分に起こる物事や状況は、自分がした“行いの結果”であることを知ります。あらゆる行いは、行いの法則を通して結果として人に与えられる。この全体の法則と流れを知り、結果を自分に贈られたものとして受け止める態度が備わった賢者は、物事や状況に心を奪われることがありません。


長所も短所も受け止める器のでかい人や、そうあろうとする人が、愛◯家になれるのかもしれませんね。

途中まで書いて、あれ?前にもこんなこと書いたような気がする、って気になり始めました。探したら見つかりました。1年半前のこれだ。

中丸師匠



クラス時間変更のお知らせ

9日(土) マイソール
12:30〜15:00


クラス休講のお知らせ

11月22日(金)〜25日(月)
上記期間のクラスをすべて休講いたします。

24日(日)のみ1クラスだけ開講します。
11:45〜13:00 整えヨガ
代行:たえこ先生

ご迷惑をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いいたします。




11月のクラススケジュール
posted by スタジオミガク at 15:39| Comment(0) | スタッフ日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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